澤好摩に会いに行く道 

澤好摩(句)・河口聖(画)展
失われし時を求めて2023   澤好摩逝く 鑑賞記

澤好摩に会いに行く道    山田耕司

 

澤好摩に最後に会ったのは、いつの頃だったろうか。  

山田は桐生から出かけることもなかったし、澤さんも桐生に来るとは言い出さなかった。世には、「コロナ」という言葉が溢れていた。

生身で会うよりも、メールなりハガキなりファックスなり、言葉でやりとりしている方が、澤さんとの関係は良好だった。澤さんも、そう思っていたフシがある。

ことさら「会おう」と互いに言い出す事がなかった。

河口さんと個展を開催するという。会場は銀座のギャラリー。澤さんからのハガキには、ことさらメモなどあるわけではなかった。

仕事が立て込んでいたこともあって、足を運ぶ事がなかった。あの時訪問していれば、それが、澤さんとの最後の面会になっただろう。

今回の句画展は、河口聖さんが、澤好摩急逝を受けて特別に開催してくれたものだ。そして、山田にとってはあらためて澤好摩に「会い」に行く機会ともなった。

港湾の色なき風に象の藝  澤好摩

具象としての「象」を見てとる事ができる。それ以外、句の説明にあたるような事物は描かれておらず、であるからこそ、暗色を基調とした複雑な色彩そのものに引き寄せられる。画家が身体活動の上で刻み込んだマチエールが際立つ。

おそらく色彩とマチエールの面白さだけで作品化できる作者が、俳句作品へのオマージュとして組み込んだ具象のフォルム。それは、作品に個性を与えているだけではなく、澤好摩の俳句作品を読む上での導きにもなっている。

実景。可視化されうる世界。それをそのまま写し取るのを「写生」とするならば、澤好摩は、「写生」派ではない。読者の中でありありと受け取る事ができるように景物を妄想し言葉を操作する。それを「創作」とするならば、澤好摩は「創作」派であろう。

ちなみに、和歌の世界であれ、俳諧の連歌の世界であれ、「創作」こそが本流の手捌きであったし、高柳重信の作品もまた、その本流に位置する。
その流れを澤好摩は志向した。と、同時に、言葉を操作する上で、非情になりきれなかった作家でもあったとも思う。

「象の藝」。ここが、アマイ。そして、ここが、句の眼目でもある。サーカスなどで芸をする象。その振る舞いの切なさが、泣かせるポイント。この「泣かせツボ」こそが表現の眼目になることで、「港湾の色なき風に」が、その背景として後退する読みが生まれかねない。「泣かせ」を捉える巧みさと、それが句をアマクしようとも排除しきれない人情とが、澤好摩らしさをもたらす。

河口聖の絵画作品は、この「泣かせ」に振り回されることなく、具象の意味合いを霞ませながら、一句としての俳句作品の香気へと鑑賞者を誘うガイドでもあった。

かたくりの花の畢りを雨にかな 澤好摩

どっしりとした素材感のあるマチエールで仕上げられた作品が並ぶ中で、水彩画のような透明感を引き込んでいる一枚。もはや具象的な素材は登場しない。色彩も互いに輪郭を持たないままに、かさね塗りの奥行きの途上に立ち止まっている風情を見せる。画面左の暗黒と画面下の深い青。微かな面積だが、それらのキッパリとした色が絵画としての作品性を引き立てている。画面は縦80センチ、横85センチ。

カタクリの花の色彩を連想させながらも、画面には「説明」めくよすがは無い。コンポジションとしても、構造性が緩やかで、意味世界から離れつつ内面性をふんわりとつかまえたような作品だ。

「かたくりの花の畢りを」。ここまでに、述語は、無い。「を」によって、「畢り」という語は目的部に位置付けられ、述部によって意味に到達するであろうと期待する読者の意識の過渡に置かれる。そして、そこに「雨にかな」という下五。一句は、述部を基盤として構成される一般的な言語の文脈をはぐらかす。その寄るべなさと、画面の透明感が見事に出会っているのである。

今となっては、澤さんがこれらのコラボレーションをどのように見ていたのかを知ることはできない。ともあれ、もし、鑑賞の言葉を直接伝えたとしても、芸術論に至る前に、話が酒の肴に化けてしまうことが予想された。そんな落とし所は、私のためにも澤さんのためにもならない。

越谷のギャラリーKに赴いたのは、二〇二三年十一月十一日。この日は午後から亀戸での「圓の会」句会がある。鑑賞して駅へ向かう道すがら、河口さんに会うことができた。道端で話し、道端で別れた。

ああ、こんなふうに会っていればよかったのかな。簡単なやり取りのあと、ホームで電車を待ちながら、山田は澤さんとの会い方を今さらながら変更しなくてはと腹をくくるような気分になっていた。

円錐100号(2024年2月15日発行)より転載