『澤好摩俳句集成』を読む  加藤治郎

桜貝きらめく波に見失なう  『最後の走者』

 桜貝がきらめく、そしてきらめく波がある。桜貝と波が渾然となったとき、見失なう。なんと美しい句だろう。見失なったのは想い人かもしれない。桜貝の可憐さと重なる。

男の昏睡続く 海底を蟹流れ  『最後の走者』

 昏睡のとき意識があるとすれば、暗い海底を蟹が流れている様子だろう。蟹は無力でただ流れている。

木の箱に納まるわれももみぢせり  『印象』

 この木の箱は棺だろう。納まるという窮屈な感じがそう思わせた。死後の自分も紅葉して華やぐのだ。

打楽器の一音ごとにはじまる圧死  『印象』

 どっどっどっと打楽器が鳴る。不穏な空気を直感し圧死に至った。これから圧死が始まるのだ。怖ろしい。大量殺戮を感じる。577の形式もふさわしい。

寒雲に片腕上げて服を着る  『風影』

 スケッチが絶妙である。寒雲に突き刺さるような腕だ。屋外の男である。たぶん野原だ。服は髙山れおな氏によればコートである。セーターかと想像した。セーターというのも不毛な話で、服は服なのだ。

杉林雲に晩年あるごとし  『光源』

杉林を見て、雲を見る。視線は高い。雲に晩年を見た。静かな境涯の句である。

的の矢を引き抜き年を惜しみけり  『返照』

身体感覚が冴えている。矢を引き抜く手応えと一年への深い思いが照応している。

白泉賞 摂氏華氏 「王の行方」

落椿宙にとどまる殺戮史
わたつみや大本営の春燈
仲たがひしてゐる三色菫かな
すめらぎの股肱となりし揚雲雀
葉桜に揉まれてゐたる御真影
神統譜偽書を曝書のさきがけに
盤上の王の行方や敗戦日
冷麦や玉音盤のよく回る
鈴虫や闇に継ぎ目のありにけり
手をふれてゆく白萩に隙間かな
モザイクをかけても桐一葉とわかる
花八手教育勅語に朕の文字
枇杷の花入江は紺を流したる
太郎冠者くさめしてゐる鳥屋かな
玉に乗る象のこころや冬銀河
黄の密を荘厳したる柚子湯かな
コロナウイルス何を喰ふらむ初御空
百万回再生したるマスクかな
鯛焼きの餡を拳でたたき出す
雪片は雪片を消しながら降る