今泉康弘 俳句、来たるべきもの

選評 第9回円錐新鋭作品賞

 批評家の仕事とは、何が美しいかを示すことだ。本稿では、応募して頂いた作品の中から、ぼくが美しいと思った作品を掲げた。そのさい重視したことは、新たなる美の世界へと俳句形式を導く作品であるか否かだ。俳句作品の価値として何より重要なことは、既成の俳句観を乗り越えて、新たな美しさを見せてくれることだ。だが、二十世紀の俳句の大勢(主に「花鳥諷詠」及び人間探求派の影響下の人々)は既成の表現や主題をくり返すだけの生ける屍であり続けてきた。
 二十一世紀の最初の四分の一が経過しようとしている現在、それにふさわしい美しい俳句、即ち、新しい俳句が掲げられねばならない。そのための一つの契機として本賞は存在する。

 第一位は垂水文弥「鬼の子にんげん」。

  わたしの国会を金色の蝶あふれよ
 それはしづかに夏駆けてゆく神様であつた
 ひとびとをとうめいにする國よ鶴
 走り出した狐は止められないだれにも 

 ぎこちないようでいながら、独特の韻律のある文体。かつての前衛俳句の陥った隠喩性の罠を回避しつつ、現代人の危機感が逆説的に抒情を醸し出す。なお、「戦争はおとなの遊び」の句は、戦争が権力者による欲望ゲームであることを抉っているのだが、表面の字義通りに解釈されそうな懸念もある。同句は高山れおなの〈げんぱつ は おとな の あそび ぜんゑい も〉を意識しているだろう。れおな句には政治問題へのヒネリがあるが、文弥句はその点が課題か。

 第二位はミテイナリコ「ドードーの生成」。

  生き大河逝き他意に生る有機体
 雲海へ羽化雨花浮かぶ浮かん無理
 空也和讚食うや食わずの和三盆

 一、二句目は「いきたいがゆきたいになるゆうきたい」「うんかいへうかうかうかぶうかんむり」と読む。加藤郁乎の『牧歌メロン』を思わせる文体だが、郁乎の趣味性とはまた異なり、決して凡庸にならないぞと誓ったかのような執拗さに味わいがある。この真似はできない。

 第三位は、おおにしなお「うまれるまでの花わすれ」。

  えーたん最北端の花ゆれながらまたえーたん
 はごろもじゃすみんよくねむれたらたべる雲

 一句目「えーたん」は「詠嘆」だろうか? 笹井宏之の短歌〈えーえんとくちから~〉を思わせ、二十一世紀の短詩型に共通した心性を感じさせるが、短歌よりも短いゆえの凝縮された抒情がある。

 以下、すべての応募作を審査資料の掲載順に見ていこう。
 なお、今回、以前よりも歴史的仮名遣い(旧仮名遣い)の句が増えたように感じた。仮名遣いの新旧はどちらでも構わないのだが、今回、歴史的仮名遣いの句に仮名遣いの誤りが目立った。ハ行の活用を他の行にしてしまうこと(誤「払い」→正「払ひ」)、音読みの語の誤り(「のつぺらぼう」→「のつぺらばう」)、イ音便・ウ音便の誤り(「追ふて」→「追うて」)、「をり」「ゐる」を「おり」「いる」と書く誤り、ダ行とザ行の誤り(「いたずら」→「いたづら」)、等等。
 また、同一の語を全句に用いるという趣向の応募作が毎回のようにある。同一の語を使えば印象が強まるだろうという思惑かもしれないが、結果は逆だ。単調さ、印象の弱さを生むのだ。作者には拘りの単語・趣向であっても、読者には関心のないことなのである。…楽しいからやってる、と言われればそれまでだが。

1 大野美波〈夕霧や亡き父親の側にいる〉夕暮れの霧は、亡き父の霊を出現させる装置として働いている。
2 赤木真理〈蠛蠓や溝蓋に指挟まるる〉「蠛蠓」は顔の周りなどにまといついて飛ぶ羽虫。そのせいか、分厚い溝蓋に指を挟まれた! 
4 押見げばげば〈鶏頭花鬼の右脳の大きさの〉鬼にも色々いるだろうが、こう表現されると、そうかと思ってしまう。
5 ミカアンドロイド〈我に似るをんなを配り年賀状〉自分の写真を印刷した賀状。その写真への違和感を表現している。
6 田村転々〈花火いまたこ焼きの喉さかのぼる〉打ち上げ花火を仰ぎ見ているとき、さっき食べたタコ焼きが喉を逆流して上ってきた。「の」は主格を表す。〈踊の中の綿菓子を拾ひに行く〉は、情景を巧みに描いていて印象的。
7 海沢ひかり〈深呼吸、一一九に指凍る〉親族の入院を描いた連作の冒頭の句。
8 風野綾〈煙なる焼けば椿もわが肉も〉椿の花も、赤い血の流れる我が肉体も、焼かれし後は煙。〈芽だちどき媼翁の骨もまた〉〈春暁の奈落に醒むるわが屍〉など、死の匂いを湛えた抒情がある。
9 にしぐちたける〈大本營発表により櫻咲く〉戦時中の情報統制により、自然の営みも統率されてしまうことを描く。
10 東田早宵〈セーター乾かないから少し抱きしめて〉セーターが濡れたまま=他に着るものが無い=寒い(旅先だから?)。恋愛小説の一場面のよう。
11 本多遊子〈園児みな穴掘つてをり日短〉ほのぼのとした風景のはずだが、どこか奇妙な雰囲気がある。
12 四條たんし〈起承承承おでんの辛子塗りながら〉我が人生は常に挑戦の日々、三つ目の「承」を迎えつつ、そう思う。
13 船形洋児〈終末時計のり弁に東京の霧〉人類の終わりを告げる時計の深刻さと、「のり弁」という日常の軽さの対比に俳諧性がある。
14 花尻万博〈裏作はすぐ燃えあがる兎かな〉二毛作で「兎」を作るのだろうか?
15 播磨陽子〈メロスきつとサボつてるやろこの秋暑〉メロスはそんな奴じゃないと思うが、実はそうかと思わせる。〈似てゐない大河ドラマの菊人形〉に爆笑。
16 堀あいだほ〈嗚咽かないやいや虎落笛だろう〉他者の悲しみへの想像力がある。〈みんな待ってオクラも何か言いたそう〉も同様だが、実は「憶良」のことか?
17 ノセミコ〈こすもすや火星訛りのふらんす語〉火星から来た人が仏語を話す。「コスモス」は「宇宙」でもある。
18 三枝ぐ    
この恍惚
 
アンドロイドの頭を
潰す
〉 押井守の映画の趣きあり。
19 森田かな〈買ふ男ゐて売る女くすりふる〉旧暦五月五日の雨に、何かを売る女と、買う男。抽象化ゆえに、売春を描くと読める。「買春」への批判だろうか。
20 和田崎〈獣たち狂ひてエデンに野火放つ〉火を放つのは人間の行為だが、獣がそれをするほどに楽園は狂った。
21 南方日午〈身ほとりに女神のちぶさなるれもん〉レモンへの賞賛の詩。〈ささくれた指をみてゐるひるまかな〉は啄木の後期の歌のような哀感がある。
22 クズウジュンイチ〈生きながらほぼ鳥葬のこがね虫〉鳥に食われるこがね虫への挽歌。〈冬の鎌に蛹の中が流れ出づ〉は畑仕事での抗えざる出来事だろう。
22 杢いう子〈かぷかぷと笑う沈没船の舵〉宮沢賢治の「やまなし」で使われる擬音を谷川から海底へ移動。ボルタンスキーの影絵作品を連想した。
24 平野光音座〈水涸れて重信房子のYoutube〉日本赤軍幹部という重さと「Youtube」の軽さとの妙。
25 海音寺ジョー〈ざらめ雪ボリショイサーカス破産宣告〉正確にはソ連・ロシアからサーカスを招聘していた日本の興行元が破産した件。ある時代への挽歌。
26 紺之ひつじ〈制服の胸から赤い羽根奪ふ〉背景を捨象したゆえの印象鮮明さ。〈足軽が注文を聞く文化祭〉「足軽」と「文化祭」の取り合わせが良い。
27 沼野大統領〈蚯蚓鳴く防空壕の上に街〉街の地下に、今風に言うとシェルターがある。戦争を起こす人間の愚かさが無ければ、無用の長物。季語と響き合う。
28 村瀬ふみや〈レコードの溝を伸ばせば冬の川〉円状の細い溝を真直ぐ伸ばすという発想は黒いビニール盤への愛。
29 浅井鰭次〈形代の袂を風の尖りたる〉夏越の祓に使う紙の人形の袂に旋風。
30 加藤閑    
ミシン、(あなた)は
骨組だけの溫室となり
向きを変える
〉手術台を遠く離れて、蝙蝠傘からミシンへの恋文か。〈祖国の塩を/ルフランのように/撒いている〉は白黒の前衛映画の香りがする。
31 里山子〈父の手は雪で私の手も雪で〉親子で雪合戦をした後の静かな時間。
32 佐藤研哉〈挿す鍵に鍵束ぶら下がる夜寒〉金属の質感が現代を象徴。〈逃水の轢かれて飛沫なかりけり〉も印象的。
33 涼野海音〈冬帝へ飛ぶ一枚の葉書かな〉一瞬の情景を切り取りつつ、葉書という物の持つドラマ性を利用して情趣を醸し出している。他に〈地底湖にさざなみの立つ良夜かな〉〈空爆の前のしづけさ冬木の芽〉〈裸木のイエスのごとく照りゐたり〉等、完成度の高い作が並ぶ。一般の俳句誌であれば、上位確実。
34 細村星一郎    
太古の土
  載せて

  静かな船団〉 詩情ある幻想世界。船団は太古から未来へと航海し続ける。
35 斎建大〈自販機の内外に蟻ゐたりけり〉近代性と蟻の生命力と不気味さ。〈鶏頭のまはりの色のこはれけり〉も秀逸。
36 郡司和斗〈日本家屋は炎上の似合ふなり〉三橋敏雄の〈いつせいに柱~〉と響き合うかのような残酷な美がある。〈監視カメラ置く系の家に電飾〉では「系」の使い方に現代への批評がある。〈透視され投げられスーツケースかな〉は空港での情景。〈余つてゐる生徒と似顔絵を描く〉、「余つてゐる」という、モノに対して使うような表現が「先生」の有り様を感じさせて面白い。ほぼ全篇が無季句であり、現代性のある傑作多し。
37 有瀬こうこ〈馬車が来ない月下美人が閉ぢてしまふ〉シンデレラと月下美人の生態とを重ねた面白さ。〈火を恋へば元素記号にないYes〉〈冬の蝶万華鏡から逃げてきた〉等、他にも傑作あり。
38 松井宙岳〈さあボルゾイを飼ひなさいと妻の云ふ〉犬の種類が面白い。
39 寺元葉香〈花は皆目なり目が皆こちら向く〉向日葵は特にその感じがある。
40 山本たくみ〈百の息白し人身事故現場〉飛び込み自殺直後のホーム上の沈黙。
41 桃園ユキチ〈切っ先にごぶりと海を吐く海鼠〉包丁を入れるや海鼠から海が!
42 かくた〈むせないでうぐいすもちを食べきりたい〉口語文体による滑稽味。
43 木村陽翔〈空欄の続く名簿や浮寝鳥〉空欄は故人の分か。水鳥の姿と調和。
44 加藤右馬〈蜃気楼越しに合はさる指と指〉ガラス越し、というのは珍しくないが、何と蜃気楼越し! ロマンがある。
45 花島照子〈まちがえて顔燃えているすすきはら〉ヒプノシスのデザインしたレコードジャケットのような不思議さ。
46 ふるてい〈春昼の掛けてよき椅子ならぬ椅子〉美術展での体験を描く連作。掲句は来館者用の椅子と、監視員の椅子とのこと。巧みな句の多い連作だが、ある一日を描いたかと思って読むと「残暑」「着膨れ」と季節が変化するので混乱する。春夏秋冬を盛り込むならば冒頭で一年間のことだと判るようにしたい。
47 山本絲人〈本日の補聴器の色決めしぐれ〉補聴器の色によってお洒落をする。「手の国」と題する聾者が主人公の連作。
48 紅紫あやめ〈十数え竜淵に潜むかくれんぼ〉『まんが日本昔ばなし』の味。
49 奈良香里〈こめかみの初霜がまだ溶けないの〉この主体は冬に屋外で寝ているのだろうか? 不思議な味わい。
50 横田縞〈黒猫は夜しかいないらしい 冴ゆ〉空白によるリズムの味わい。
51 牧野冴〈透明な犬撫でまわす良夜かな〉亡き愛犬の記憶の反芻だろうか。
52 石﨑智紀〈大寒へ銃弾をもう二、三発〉ハードボイルド小説の末尾の如し。
53 柚木みゆき〈花粉症徹頭徹尾鼻濁音〉平仮名抜き、漢字のみで苦境を表現。
54 坂西涼太〈薄氷をかじり合ふ子ら夕まぐれ〉夕方まで薄氷が残っているのは、寒い地方だからなのだろう。郷愁感。
55 馬場叶羽〈都市に鶏卵孵りつつあり蕪村の忌〉都市というモダニズム系の語と、蕪村とを「鶏卵」が繋ぐ。
56 滝口然〈来た道を食べられながら月明り〉魔物に食べられる怖い童話のよう。
57 兎森へる〈獣耳の大路を春は這ひ来たる〉春には、獣の耳をした少女(必須条件)が大通りを這ってくる……。
58 丹下京子〈熊手選るうちに手締めの輪の中に〉酉の市で熊手を選んでいると、他人の手締めの輪の中にいた。加わらないわけに行かず……。見事な描写に脱帽。
59 新倉村蛙〈芋煮会二夫にまみえて従はず〉「貞女は二夫にまみえず」、という語をパロディ化して、心意気を示した。
60 髙田祥聖〈愛鳥週間密告をやめられず〉暗すぎる心の軋みに、鳥たちの囀りが交じる。「かちくをとめ『ミノタウロスの皿』より」と題された二十句。藤子・F・不二雄の名作を踏まえつつ、同作とは別の味付けもあり、鮮烈な世界。
61 岡一夏〈鮟鱇の愉悦の口を開きをる〉楸邨の有名句を再構築した趣き。
62 品口回ロ 〈寒明のタバスコに空洞 空洞〉タバスコの塊の中の空虚さ。
63 橋前有乃〈リコーダーより唾出づる暑さかな〉暑さの具体性が強烈。〈これといふ展開のなし盆踊り〉等、常識を斜めから見る視線に良き俳諧性がある。
64 とみた環〈佐渡島コーラの瓶は砂に挿す〉佐渡とコーラの取り合わせが絶妙。
65 石川順一〈八月が光を放つトイレ行く〉荘厳な前半と、卑近な後半との妙。
68 牟礼あおい〈蝉鳴けり蝉を終はれるうれしさに〉七年も土中にいて大変だった。〈夕立に駆け抜けたきが我は塔〉での視点の転換(変身)の発想も鮮やか。
69 山中はるの〈水蜜桃のこぎりの種類あまた〉取り合わせの斬新さに惹かれる。