選評 第9回円錐新鋭作品賞
「円錐」は進取の気性を持った俳句同人誌だ。そして何よりも本誌を特徴づけているのは、容赦のない批評文と深く突き詰めた論調ではないかと感じている。同誌で今年も又、第九回「円錐」新鋭作品賞が設けられた。ご応募くださった六十九名の皆様に感謝申し上げたい。
さて今年の選者が私では力不足の感を免れない。だが、「円錐」誌創刊者の故澤好摩氏と若き日に友人だったという縁でご依頼いただいたゆえご海容願いたい。
賞の名前を「逃げ水賞」と名付けたい。逃げ水は近づくと先へ先へと逃げてしまう。つまり見果てぬ夢を意味している。文芸(俳句も文芸の一種)とは見果てぬ夢を追い続けることではないだろうか、という意味で名付けた。
「逃げ水賞」推薦第一位に頂いたのは有瀬こうこさんの「転調」。
オパールに水の転調四月来る
第一印象が洒落た句だと感じた。オパールは堆積岩や火成岩の割れ目に珪酸の粒子が積み重なり、1500~3000年前に形成された石である。水分を含み、結晶構造を持たない唯一の宝石だそうだ。そしてぶつけると割れる宝石でもある。オパール自体がいろいろの色彩を含んでいるが、光線の加減によって色が変化する。夜の街中に点滅するネオンサインのようだ。色彩の変化する宝石と捉え、〈オパールに水の転調〉と詠んだ上五・中七の表現がすばらしいと思った。下五も明るい感じの〈四月来る〉でぴったり決まった。オパールは十月の誕生石である。だから〈十月来る〉とか〈神無月〉ではもちろんだめだ。付き過ぎになるから。
桜蕊降る仮縫ひのままでいい
も選者好みの句だ。〈桜蕊降る〉と〈仮縫いのままでいい〉は二者衝撃をさせた作句法である。この二者衝撃がとてもいい。満開の桜とか散る桜とかではなく、桜の開花が終わる後の〈桜蕊降る〉がいかにもふさわしい。なぜかと説明するのは難しいが、洋服の仮縫いという中途半端な状態で、作者は桜の蕊のように立たされて着せ替え人形になっている。そんな様子は満開の桜には似合わないだろう。繊細で若やいだ感性を持つ作者とお見受けした。選者も若い頃には仮縫いしてもらって洋服を仕立てたことがあったのを思い出した。その他、〈馬車が来ない月下美人が閉ぢてしまふ〉や〈火を恋へば元素記号にないYes〉や〈冬の蝶万華鏡から逃げてきた〉の句々も秀逸だと思った。
「逃げ水賞」推薦第二位に頂いたのは花島照子さんの「音楽が終わる」。
ひらかれて本に扉や百千鳥
本(文庫本は別として)には扉がある。本に扉があるのは普通のことだが、選者は本に関わる仕事をしてきたので掲句に惹かれてしまった。三橋敏雄氏の有名な句に〈かもめ来よ天金の書をひらくたび〉があるが、完璧な句だと思う。三橋氏の句からは、作者がデッキで天金の書物を開いている状景がありありと目に入って来るのだ。それに比べると、本を開くという状況は同じでも、掲句は三橋氏の句よりは状景が鮮やかでない。下五に〈百千鳥〉を持ってきたのがちょっと古い感覚にも思える。いっそのこと、突拍子もない下五を持ってきたなら前衛的な句になったかも知れないのに、と惜しい。
ベランダは箱舟なのにひとりきり
の句は状景がよく解る。ベランダを箱舟に例えたのは詩的だ。そのベランダが海に近い家ならば、津波が起これば飲み込まれる恐れがあるだろう。もしそうならば、作者は他の動物たちを一緒に乗せてあげて欲しい。だが掲句は街中のマンションのベランダなのだろうと推測する。〈ひとりきり〉は作者の孤独感を詠んでいるのだ。詩的な孤独感である。
ぼた雪とこれから音楽がおわる
作者はこの新作二十句に「音楽がおわる」と題しておられるから掲句への思い入れが強いのだろう。広辞苑で調べると、〈ぼた雪〉とは「(新潟・福井・石川・山形・大分県などで)湿気のある大粒の雪、ぼたん雪。」とあった。ぼたん雪は、大きな雪片が牡丹の花びらのように降る雪である。そのような雪が降ってきて、〈これから音楽がおわる〉のだ。なぜか?
ぼた雪が家屋の屋根に重く積もるだろうから雪掻きもしなければならないだろう。だから音楽を聴いたり演奏したりしてはいられないと? 否、そんなふうに因果関係で解釈してしまうと俳句(詩)にならない。作者の詩的な気分なのである。ぼた雪を認識した作者は、〈これから音楽がおわる〉と感じたのだ。あくまで作者の内的感性の問題なのだ。作者のそのような感性に共感できるかどうかが、掲句を秀句と捉えるかどうかの分かれ目になるだろう。
「逃げ水賞」推薦第三位に頂いたのは、山本絲人さんの「手の国」。
手の国の聾学校はしぐれゆく
が一句目にあり、「手の国」が題名に選ばれた理由がよく解る。〈母の母校も手話使う〉の句とか、〈聞こえない姉と一緒や〉の句もあるから、作者の母君か姉上が手話の人なのだろうか。作者の実情は作品の質に無関係なことかも知れないが、連作全体を「手の国」と名付けられた思い入れの深さから勘ぐってしまった。
手の国の聾学校はしぐれゆく
〈聾学校を〉〈手の国〉と表現された作者。適切な名づけ方だ。と同時に、二十句全部に「しぐれ」あるいは「時雨」という言葉が挿入されている。なので、選者は作者が〈手の国〉と〈時雨〉を不可分のように捉えておられるように感じた。時雨は晩秋から初冬にかけて降ったり止んだりする雨。古来侘しいものとして詩歌に多く詠まれた。古来よりの時雨の本意をそのまま受け取れば、聞こえない人は侘しい、という意味になってしまう。その中で、明るい感じの次の句々に惹かれた。
時雨止み手話の告白される距離 一句目の時雨はひと時で止んだのだ。〈読唇術の恋をして〉なんて、秘密の合図を送り合う探偵小説中の人物みたいだ。そして掲二句目の〈手話の告白される距離〉の表現は上手いと思った。なるほど、手話をはっきり読み取ろうとすると相手と密接していては不都合だ。寄り添い合う恋人同士の会話では不便かも知れない。障がいを大っぴらにして生きられる時代になったとは言え、「手の国」の住人に「時雨」の言葉が沿うて来る。それを外せないのだろうか、とも思った。
次、第一~三位の入選作品以外から。感銘を受けた句を五句挙げさせて頂く。
かぷかぷと笑う沈没船の舵
杢いう子さんの「テラリウム」より。
沈没船だから海底の様子だ。〈かぷかぷ〉のオノマトペが、傷んで緩んだ舵の様子を表現していて面白い。舵の不調で船が沈んだのかも知れないのに、当事者(舵)はあっけらかんと笑っている。そこに諧謔味を感じた。
ケセランパサラン十一月の開架にゐる
斎建大さんの「導火線」より。〈ケセランパセラン〉とは、たんぽぽの絮毛のようなふわふわした謎の生物のこと。幸せを呼ぶと伝えられる。それが〈十一月の開架〉に居た。秋も深まった頃の書架にそれを見つけた時、作者は不意に幸せな充足感に満たされたのだ。謎の生物の実体は埃だったのかも知れないが。面白い句だと感じた。
宇宙少し剥がれてネモフィラの世界
加藤右馬さんの「愁思いま」より。ネモフィラは青い花。ひたち海浜公園に絨毯を敷き詰めたようにネモフィラが咲いている画像は美しい。その景を〈宇宙少し剥がれて〉と表現したところが良い。ネモフィラの花の色は青空からもらった色彩だったのだ。
さびしさの単位はヘルツ鯨鳴く
奈良香里さんの「鯨鳴く」より。ヘルツは周波数の単位でHzと書く。鯨はヘルツで鳴き交していたのか。Hzでは人間に聴こえないはずだ。例えば或る人が「さびしいよ」と声にだして言ってみても、その内実が相手に伝わるかどうか判らない。その意味で、〈さびしさの単位はヘルツ〉と作者は表現した。上手い、と思った。
液晶ぜんぶひびわれて一寸セクシー
森田かなさんの「定期便」より。スマホかパソコンかテレビの液晶がひび割れてしまったのだ。残念な気持ちや腹立ちの前に、作者はその事態を〈一寸セクシー〉と表現した。そこで、選者はマルセル・デュシャンの作品「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」(通称:大ガラス)を想起し、その美術作品に準ずるような感じを受けた。シュールな句として頂いた。
これ以外にも作者独自の感性で表現され、目を引く作品が多々あったが、選者の好みで選ばせて頂いた。
次年度の円錐新鋭作品賞へも多くの方々からのご応募をお待ちしている。